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『江戸城総攻/左の腕』だより

千穐楽を迎えました。

打ち上げ

そして5月22日は劇団創立78周年、
千穐楽の集いで併せて創立記念日を祝いました。
78年は…経験したことがないのでわかりません…
けれどその内の20年はよくわかります!
創立記念日の集いで座歌を唄い諸先輩方の挨拶を聞いていると、
いつまでも前進座は前進座であり続けて欲しいなと思いました。
役者と演出部は熱い稽古場、熱い舞台を、
制作部はプロデュースする喜びを、
本部は一丸となり皆を安心して公演に送り出し帰ってきたらお疲れ様と迎えてくれる…
そんな日々を追求し続けなくてはならないと改めて思った一日でした。
ご来場頂きました皆様本当にありがとうございました。
そしてこれからも末永く前進座を応援してください。
「千穐楽おめでとうございます!」

記・江林智施 ※前進座メールマガジン会員募集中です!チケット先行受付・プレゼント企画など、メルマガ会員限定のお得情報が満載。★登録・購読もちろん無料★ 【前進座メールマガジン】⇦登録はこちらから空メールを送るだけ。

『江戸城総攻』『左の腕』だより

財産演目 『左の腕』 

商売仲間

前進座の財産演目の一つである『左の腕』は、
良く出来た 歌舞伎世話物だなと、改めて感心してしまう、
今回の国立劇場公演です。
原作の松本清張先生。脚色の平田兼三さん。演出の津上忠さん。
この三人に、感謝、感謝です。
先日、森光子さんの『放浪記』が、
2000ステージを迎えた事が報じられました。
89歳にしてあの大作の主役を演じ続ける。全く頭が下がります。
いや、待てよ。79歳で『法然と親鸞』や『左の腕』で主役を演じ続ける、
我が前進座の梅之助さんも相当なものではないでしょうか。
私は、今回の出演者の中では、『左の腕』の出演歴が間違いなく多い方です。
翫右衛門、国太郎、菊之丞の初代メンバー ともご一緒に出演させていただいていますので、
すでに200ステージ近く勤めていると思われます。
前回の南座公演から、“シャボン玉売りの駒吉”が持ち役です。
卯助さんの商売仲間三人の役は、脇役ですが大切な役処。
大事に勤めています。翫右衛門、梅之助と親子で当たり役となった”卯助”役は、
まだまだ梅之助さんに演じ続けて欲しいものですが、
出来る事なら、三代目の卯助さん誕生の舞台にも出演したいものと願っています。 

記・山崎辰三郎 ※前進座メールマガジン会員募集中です!チケット先行受付・プレゼント企画など、メルマガ会員限定のお得情報が満載。★登録・購読もちろん無料★ 【前進座メールマガジン】⇦登録はこちらから空メールを送るだけ。

『江戸城総攻』『左の腕』だより

「笑顔満開 子守の花道」

子守

研究生の有田佳代です。
ただいま国立劇場公演の真っ最中。
本日、中日(なかび)を迎えました。
私は『左の腕』に子守役で出演しています。
子守が梅之助さん扮する主人公・卯助と話す場面は、
ほんの数秒の出来事ですが、
とても温かく、演じている私もとても幸せな気持ちになります。
子守の一番の見せ場は、花道を一人で駆け込むところです!
もう二度とこんなチャンスは無いと思いますので、
一回一回の花道を…いや舞台がより心に響くものとなるよう、
千龝楽まで精一杯楽しんで悩んで子守役をやりきりたいと思います。
公演はまだまだ続きます!
一度ご観劇頂いた方も、まだご覧になっていない方も、
皆様どうぞ国立劇場へお越しくださいませ。
お待ちしております\(^O^)/

記・ 有田佳代

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『江戸城総攻』『左の腕』だより

             ときは春°

パルは、エゲレス語で友達。 
前進座の友達・パルが全国各地に拡がっています。


私が前進座と出会った広島にも今年一月、
広島パルが誕生しました。
 『江戸城総攻』『左の腕』にも遥々と、
“友”あり遠方より来る。丁度一回公演の後とて、
上野のお山に遠足。

 同行したのは私と、
中嶋宏幸、高橋佑一郎。
            上野動物園となりの東照宮も寛永寺の一部

 ここには、舞台でご覧頂いたばかりの西郷隆盛が
銅像となって建っている。慶喜さんが謹慎していた
寛永寺も此処。
将軍さまが去った翌月には、彰義隊が立てこもって
殆どが消失、
動物園や美術館のある
大公園の上野になったのでした。

             
 七月に広島市民劇場ほか中国ブロックの
演劇鑑賞会に伺う『五重塔』の舞台、
谷中感応寺-現在は天王寺―も、
上野の山全体を覆う寛永寺の一部。
 作者、幸田露伴さんは、この近くに住んで
朝夕に塔を見上げた。

 維新の戦争も、関東大震災も、
日米戦争の空襲にも耐えて焼け残ったのに、
不倫心中の巻き添えで一本の火柱になった。

              
 江戸四塔と数えられた五重塔は、そのままの姿では
上野動物園の中にある寛永寺五重塔しか残っていない。
この五重塔と隣の上野東照宮を尋ねた。
         〝平和の灯火"

ここには、広島長崎の平和の灯も勧請されている。
 琵琶湖に見立てた不忍池(しのばずのいけ)も、
五重塔の重要な舞台。
              
 盛夏の公演に想いを馳せつつ、
一夜の交流を楽しみました。芝居はライヴ、
いろんな意味で。今だけの灯だから燃え盛る、
今だけの灯だからここにしかない。
 夏の火種が今日、灯りました。


                 松涛喜八郎☆記 ※前進座メールマガジン会員募集中です!チケット先行受付・プレゼント企画など、メルマガ会員限定のお得情報が満載。★登録・購読もちろん無料★ 【前進座メールマガジン】⇦登録はこちらから空メールを送るだけ。

『江戸城総攻/左の腕』だより

初日を迎えました

初日の集い

国立劇場公演、初日を迎えました。
たくさんのお客様の笑い、涙、拍手にささえられ
大変熱気のある初日となりました!

皆様、国立劇場でおまちしております!

佑一郎 ※前進座メールマガジン会員募集中です!チケット先行受付・プレゼント企画など、メルマガ会員限定のお得情報が満載。★登録・購読もちろん無料★ 【前進座メールマガジン】⇦登録はこちらから空メールを送るだけ。

『江戸城総攻/左の腕』だより

劇場入りしました

いよいよ国立劇場にやって参りました!仕込みも終わり、明日は初日です。
今回、歌舞伎ながらも幕末の芝居という事で洋服の人もあり…
時代の匂いを楽しんで頂ければと思います。
そして、大道具はやはりとても立派!!美しい!!劇場って凄い!!
舞台は生で観ないと!!二本とも素晴らしい作品ですよ~   
わたくし「左の腕」の参詣人町娘もその一部となって皆様をお迎えしますので、
楽しみにしていて下さいね。

記・黒河内雅子 ※前進座メールマガジン会員募集中です!チケット先行受付・プレゼント企画など、メルマガ会員限定のお得情報が満載。★登録・購読もちろん無料★ 【前進座メールマガジン】⇦登録はこちらから空メールを送るだけ。

『江戸城総攻/左の腕』だより

『左の腕』で“おきみ”をつとめます。 

幕開き、亀戸天神境内の場は見所いっぱいです。
町娘、芸者、同心、職人など様々な人々が行き交います。
みんな稽古着なので、普通にしていると誰が何の役か分からないのですが、
いざ稽古が始まって動きだすとそれぞれちゃんと見えてくるから不思議です。
衣裳、かつらを付けたらどんな風になるか今から楽しみです。

私は“おきみ”として初々しい恋心を微笑ましく感じていただけるように
悩みつつも楽しく稽古しています。
銀次さん、どうぞヨロシク。

しかし、『銃口』でも同じコンビで似たようなシチュエーションがあるような…。
今回は江戸時代のカップルとしてともに頑張りましょう。

『左の腕』を御覧になる方はぜひ『銃口』もご観劇くださいね。

おきみと銀次

写真は、銀次役=高橋佑一郎と。


記★おきみ役=上沢美咲
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『江戸城総攻/左の腕』だより

皆さま、こんにちは!!  

喜五郎です。
生島喜五郎です。
今、国立劇場公演のお稽古真っ只中。
2演目なのでこれが意外に大変・・。
しかし、初日まであと一週間!!
頑張ります。
必ずいいお芝居になると思います。
わたくしは、『江戸城総攻』にも『左の腕』にも出演します。
『左の腕』では白塗りの若旦那で…。
是非、観にきて下さいね。

記・喜五郎 ※前進座メールマガジン会員募集中です!チケット先行受付・プレゼント企画など、メルマガ会員限定のお得情報が満載。★登録・購読もちろん無料★ 【前進座メールマガジン】⇦登録はこちらから空メールを送るだけ。

『江戸城総攻/左の腕』だより

いよいよ五月
目にも美しい新緑の季節になりました

ゴールデンウィークいかがお過ごしですか?
国立劇場出演者の高橋亜紀です
今回私は「江戸城総攻」は‘勝安房守邸‘の女中さんの役、「左の腕」では参詣人・町屋の女の役で出演致します。
実は勝海舟邸の女中さんの役は二度目の経験ww

稽古場から劇場に稽古場所が移り、いよいよ初日まで約一週間
もう観劇のご予定は立てていただけましたでしょうかww

今回の国立劇場は歌舞伎の二本立て。
そんな作品に女優が出演できるのはま・さ・に前進座ならではでございます

江戸城総攻「江戸城総攻」

お稽古場は日に日に熱気を増しております

左の腕1「左の腕」

「左の腕」も7年ぶりの再演です。
私も7年前の京都南座に出演しておりましたが、本当にほんのりあったかいいいお芝居だな~と助手をやりながら好きなセリフのところに来るとじんわり涙しておりました
今回も本読みで泣いておりましたww
本当によいお芝居は皆様にご観劇いただきたいと切に願っております。

どうぞ、五月国立劇場公演にいらしてくださいませ江戸城総攻

・・・・・・・・・・・・・余談ですが
今回「左の腕」では、新しい役に挑戦する人と、以前の役に再び挑む人がいます。
その中で前回の南座の時は「若すぎるよ~」とダメを出されていた方が今回は・・・
「もっと若くやってよ~」
とダメだしされておりましたwww

そりゃ~そうですよね~。
七年も経ってるんですから~ww

ね~銀次さんwww

そんなこんなでみんな頑張っております ※前進座メールマガジン会員募集中です!チケット先行受付・プレゼント企画など、メルマガ会員限定のお得情報が満載。★登録・購読もちろん無料★ 【前進座メールマガジン】⇦登録はこちらから空メールを送るだけ。

『江戸城総攻』号外

はとバスで“芝居塾”
薫風の5月は、もうすぐです!!
国立劇場公演の初日まで残すところ2週間を切り、『江戸城総攻』『左の腕』ともに稽古場は、ヒートアップ。
皆様!乞うご期待!!


ところで、先日(4月19日)、この芝居に先駆けて、前進座友の会の皆様を対象に、恒例の“芝居塾”が開催されました。
今年の芝居塾は、めずらしい‘はとバス’ツアー。
ツアー募集当時から好評で、あっと言う間に定員オーバー。

3台の‘はとバス’は、春爛漫、快晴にめぐまれて、早朝の新宿を、満席で出発。
1号車は、菊之丞さんと黒河内さん、2号車には、広也さんと北澤さん、3号車は、中嶋さんと私・横澤が同乗。
‘はとバス’乗車は生まれて初めてと言うメンバーもいて、賑やかに、ツアーが始まりました。
はとバスの前で… 広也さんと北澤さん

皇居平川門を車窓から眺め、初めに着いたのは、皇居東御苑。
大手門には、若手の男優さん達がお出迎え。
入園票を受け取って、ガイドさんの案内で、散策開始。
「この入園票、無くすと、戸籍まで調べられて、身元が保障されるまで、ここから出られませんから気をつけて下さいね~」
ガイドさんの何気ない注意に、ちょっと緊張。
大奥や中奥の跡、松の廊下の跡……
今は整備された芝生に、碑が建っているだけですが、それでも、ガイドさんの巧みな案内に創造力が、かきたてられました。
松の大廊下跡の碑「ここで浅野内匠頭が…」  ガイドさんの説明を聞きながら…
石垣の大きさにも圧倒され、我々の先祖の技術力にも驚きました。
「石垣のひとつひとつに、印があって、どの藩から運ばれたか、その藩の人にはわかるんですよ」と、ガイドさん。
一同またまたびっくり。
大きな石を積んだ石垣  皇居の八重桜 

入園票を無くした方もなく、全員無事に皇居を後にし、浜離宮、薩摩藩蔵屋敷跡や上屋敷跡を車窓から見学しながら、3台の黄色いバスは、都心を走ります。
連なって走るはとバス
それにしても、ガイドさんの案内は、実にお見事!
録音して他の出演者にもお聞かせしたい。
西郷・勝会見の地の碑の説明なども、歴史的背景も踏まえ、わかりやすく説明して下さり、首都東京と江戸の話を織り交ぜながら、よどみなく、途切れることなく、案内が続きます。
プロは、すごい!!

次の目的地は、増上寺。
普段は見学できない、徳川将軍家の霊廟まで入ることができました。
増上寺は、偶然にも、お祭りで、お神輿が、本堂まで担ぎ上げられる様は、圧巻でした。
お寺でも、お神輿なんだ……。
何だか不思議な感覚で、ちょっと得した気分です。
増上寺でも、6人の男優さん達が合流し、『法然と親鸞』に出演する俳優たちは、勢至丸の銅像の前でも、記念撮影。
本堂まで担ぎ上げられたお神輿  法然上人の幼少期 勢至丸の像
歴代の将軍さま達が眠る霊廟の静けさと対照的に、活気あふれる増上寺境内を後にし、一行は、昼食会場・“割烹 三州屋”さんへ。

ここでは、圭史さん、矢之輔さん、國太郎さん、佑一郎さん、美咲さんが、合流。
それぞれ、お芝居の見所などを楽しく語り、大いに交流しながら、お食事をいだだきました。
ご挨拶する圭史さん

午後のコースは、上野公園の散策。
西郷隆盛像の前に待っていたのは、犬の根付をぶら下げた、前進座の西郷さんこと矢之輔さん。
西郷さんの像の前で パチリッ
何と、この根付、午前中に愛宕山に登り、わざわざこのために購入されたとか……。
先輩のサービス精神に頭が下がります。
お疲れ様です。
彰義隊の碑や、清水観音堂、寛永寺旧本坊表門などたっぷり散策しました。
上野公園のエスコート役は、午前中に各地で出迎えた12名の俳優たち。
班ごとのプラカードをあげて… エスコートの男優さん達
総勢130名を超える一行は、人ごみの上野公園で、迷子になる人もなく、お怪我もなく無事に帰路に着きました。

今回、ツアーに参加していただきました皆様、いろいろ不備もありまして、ご迷惑もおかけしましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
私は、とっても楽しかったです。
参加者皆様のご協力で、素敵な芝居塾になったような気がします。
本当にありがとうございました。
お芝居の方も、必ずいらして下さいね。


☆横澤 寛美:記☆
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『江戸城総攻/左の腕』だより

衣裳合わせがありました  

『江戸城総攻/左の腕』の稽古始まっています。

先日、江戸城総攻の衣裳合わせがありました。

官軍、幕府軍の軍服合わせですが、
まるで学生服のようです。
衣裳合わせ1

こちらは演出家の話を聞いているところでですが、
まるで学生が先生の話を聞いてる図のようです。
衣裳合わせ2

高校生ではなく、
みんなちゃんと官軍、幕府軍に見えるよう
稽古に励んでいます。


佑一郎

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五月国立大劇場だより

      時鳥 不如帰 遂に蜀魂  海舟


「時鳥が啼く。今年は早いな」
「四月閏にしては、季節が急ぎすぎている」
    (江戸城総攻 第一部
          江戸城総攻)

これが『江戸城総攻』の第一声。
 ホトトギスは万葉の頃からその年の第一声を
忍び音と珍重された。
 ホトトギスは、夏の鳥。
初夏に渡来、初秋に東南アジアに渡る。
 古来、田植えを促す為に啼くといわれたり、
あやめ鳥の別名があるから多くは五月中旬に来日する。

閏月で調整する直前、三十日ほど暦がずれた
1868年三月初めの忍び音は早い。
幕開けの旧暦三月六日は、太陽暦の三月二十九日。

            烏帽子鳥
        《同じ仲間のエボシドリ》

「あ、時鳥が啼く……。しばしこの儘に置け。」
 慶喜公瞑目して聞けば、
杜鵑二三声、寛永寺の大屋根の上を啼きて過ぐる。
十日の月光、煙るがごとく庭面に降りそそぎ、
入側の畳に射し入る。
  (江戸城総攻 第三部
       将軍江戸を去る)

 慶喜公が登場する四月十日は、新暦では五月二日。
こちらのホトトギスは順当だろうか。
 テッペンカケタカ、特許許可局、不如帰などと聞きなされる
ホトトギスの声は夜も聞かれる。

親戚のカッコウ。恰好は似ている。


“啼いて血を吐くホトトギス”

 ホトトギスの口の中は真っ赤。
だから、真山青果の脚色でも名高い
結核患者が主人公の悲劇は、
『不如帰(ほととぎす)』。
 明治の俳人正岡子規は、結核で喀血、
子規(しき=ほととぎす)と号した。
            
杜鵑、時鳥、子規、不如帰、杜宇、蜀魂、田鵑、
これ皆ホトトギス。どれも、
古代中国の王様の魂がホトトギスになったという伝説が
元となっている。

 よって表題の海舟の句は、
ホトトギス ホトトギス ついにホトトギス

 若い時、時流に乗って騒ぐが、
中年から初老には、保身に活きる人々に失望
故郷に帰るに如かずとの想いで晩年を迎える、
という政治人生を読んだのだと、語っている。


あの声で蜥蜴喰うかやホトトギス”
 同じ仲間のカッコウと同じく、ホトトギスは
ウグイスなどの巣に卵を産んで育てさせる
“横着者”。
彼らの人生は、風流とばかりはいかないようだ。


                 喜八郎でした
           江戸城落日
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五月国立大劇場だより

           忠義

維新の頃には妻子までもおれに不平だったョ。
            (海舟語録)

                     海舟。今年は没後110年

 弟子・坂本竜馬の絶大な人気と好対照という位に
勝海舟ファンは少ない。
 昔も今も、その発言や存在が
日本人には煙ったいのかもしれない。
咸臨丸でアメリカ帰った時、
かの国はどのような国かと問われて
わが国と違って能力あるものが指導者となる国です、
と幕府高官を目の前に言い放つ男である。
          赤坂氷川神社

 赤坂の氷川神社そばに終の棲家を構えたところから
名付けられた談話集『氷川清話』が有名だが、
その他にも日記書簡など残した文章は多く。
『勝海舟全集』24巻に纏められている。



 ナニ、忠義の士と云うものがあって、国をつぶすのだ。
己のような、大不忠、大不義のものがなければならぬ。 

             波涛
                   
 海舟語録のこの言葉は、
勤皇にも佐幕にも、新政府にも旧幕にも
よっていない。
 世界の中にあるべき日本を見詰めている。

 維新の年、
これから三十年は目を黒くして政府を監視すべし、
と発言した海舟はその言葉通りの齢を全うした。

 薩摩の西郷、大久保も、長州の桂小五郎も
維新十年にして鬼籍に入り、
鉄舟も二十年目に没し去っている中、
時局に発言し続けた。


 三十年を経た日本皇国は
隣の清国を打ち破る国力を得た。
この道を進んだ皇国は半世紀後に
崩壊することになる。

 開戦の勅命の出た日清戦争に対し、
“其軍更無名”、名分のない戦争だと
海舟は堂々、喝破していたのだった。

             氷川神社
《赤坂氷川神社・氷川神社の総本社は、小京都・川越》
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五月国立大劇場だより

      人斬り半次郎

 中村半次郎、後の桐野利秋という人は、青果作品では、
西南戦争を描いた作品群は勿論、
会津戦争ものの『血笑記』にも愛嬌たっぷりに登場する。
青果先生お気に入りだったのかもしれない。

桐野=半次郎の墓

 幕末に人斬り四人男と呼ばれるのは、、
長州・岡田以蔵、肥後・河上彦斎、薩摩・田中新兵衛と半次郎。

 岡田以蔵は、坂本竜馬に命じられて海舟の用心棒を勤めたこともある。
海舟への刺客を斬ったあと、海舟に「余り人を斬るな」と言われて
「でも今斬らなけりゃ、先生は死んでます」と答えた。

 半次郎の場合は、確かめられている「暗殺」は一件のみ。
以蔵のような暗殺常習者ではなかった模様。
           江戸城総攻予定日の四ヶ月前、京都の近江屋で龍馬は遭難した

 諸説乱れ飛ぶ
坂本龍馬暗殺実行犯の中に
中村半次郎説があるが、現在は余り顧みられない。
 
 維新後は日本初の陸軍少将となるが、
西郷について下野、
西南戦争では村田新八らと共に大隊長として歴戦、
顔面に被弾して命終わった。
        西郷墓地、中央が西郷の墓その左が中村半次郎
 
「身体も大きくて立派なら、
容貌態度ともに優れた男」だったと
勝海舟が語る男は、今
鹿児島・西郷墓地の隆盛隣に眠っている


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五月国立大劇場だより

       泪橋の向こう      

              四宿の“へ~?!”


 「天正18年8月朔日、徳川家康江戸城に入り、
慶応四年4月11日、徳川慶喜江戸の地を退く。
歴史の記述は短かろうが……」
(江戸城総攻 第三部
   将軍江戸を去る)

                台東区と葛飾区の境にある泪橋跡

 11日の早朝、寛永寺を出た15代将軍の駕籠は
日光街道を進む。
 千住宿の地名は小塚原町。通称コツ。
南千住と地名改まった今でも、
“コツ通り商店街”などとその名を残している。

 奥州街道の思川には泪橋が架かる。
小塚原(こづかっぱら)の刑場で斬首される
罪人と家族とが泪で別れを惜しんだ橋。

      千住回向院

 橋を渡れば刑死者を弔う回向院が見えてくる。
安政の大獄で処刑された、
橋本左内
橋本左内(越前=福井・元適塾塾生)、
吉田松陰
吉田松陰(長州)、頼三樹三郎らがここに眠る。
 幕府再建の為に
ケイキさんを次期将軍にと担いだメンバーを、
対抗馬を担いだ井伊直弼が処分した。

 西郷もケイキさん就任を望んでこの弾圧にあっている。


 水戸藩出身のケイキさんは江戸藩邸で生まれ、
国許で育った。
 父親でもある水戸藩主・斉昭を謹慎、失意の死に
追い込んだのは安政の大獄。
井伊暗殺の桜田門外の変は、水戸藩士が主力だった。
その実行犯たちの墓所もここ。

               現在も遺る桜田門。向こうに見えるのは皇居外苑の櫻だモン

 品川宿そばには、鈴が森の刑場、
板橋宿にも刑場
(甲州街道のみは内藤新宿でなく八王子)、
と江戸の果てには刑死者が眠っていた。
歌舞伎でもおなじみの鈴が森

 因みに、家康が八朔(はっさく)に入城したというのは、
稲の初穂を収穫する日に当て込んだ伝説といわれる。
八月一日は、江戸時代を通じて大事な祝日だった。



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五月国立大劇場だより伍拾肆

    ♪西軍、それは……♪

「そんなら何故、鳥羽伏見の戦に負けた。
勝てば官軍よ。」
(江戸城総攻第一部
      江戸城総攻)

 

「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言う。
実権を握った側に、詔勅が下される。
 薩摩長州を中心とした「官軍」と戦った奥州諸藩は無論、
官軍とも新政府軍とも呼ばなかった。西から攻めてきた「西軍」。
 西軍・東軍、それは、関ヶ原のリフレイン。



五時間程で決着した天下分け目の闘いは、諸大名を一気に
勝ち組・負け組に二分した。

 陣営から動かなかった毛利も、
決死の敵中突破で薩摩に駆け戻った島津も、
西軍に組した以上は取り潰しは必至。
だが、辛うじて残った。

 大毛利家は、領地を四分の一に削られたが、
殆どの家臣が身分を捨てても長州に随行した。
維新の際、静岡に移住した徳川家臣団と同じである。

 長州が農民に至るまで幕府との戦に邁進したのは、
元々この頃帰農した家臣らの裔だからとも囁かれる。
 薩摩とて、幕府による弱体化策の土木工事割当で
多くの犠牲を払ってきた。



 
「江戸の探索を命じられたのは安政のころか。
西郷はその頃から、今日の日を待っていたのだなァ。
はゝはゝゝ。恐れ入った。渡しても憎い敵じゃない。」
  (江戸城総攻 第一部
       江戸城総攻)

怨み骨髄。
 長州では城中の新年に
「幕府を倒すの儀、本年は如何仕りましょうや」
と藩主に尋ね、
「 まだそのときではあるまい」
と答える儀式が続いていたともいう。


 関ヶ原で西軍に組し、維新戦争でも貧乏籤を引いた上杉家
のような例もあるが、不遇の者たちは政権の矛盾を
肌で感じていた。
長州・薩摩にとっては、倒幕は
関ヶ原以来300年の恨みの
清算という面をも持っていたのだった。



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五月国立大劇場だより五拾参

 朱引き内
       
四宿の“へ~?!”


「そのおみ足の第一歩が、
江戸の地の限りなのでござりまする。」
  (江戸城総攻 第三部
      将軍江戸を去る)


 江戸の範囲は家康の頃から徐々に拡がり、
鶴屋南北さんの文政時代に
朱色の線で区切られたのが幕末の“江戸”。
 千代田の江戸城を中心に、ほぼ一日で歩ける範囲。


 夏目漱石が小説を書いたのは
明治末から大正初めのほぼ十年間だが、
明治と同い年の作家の作品には「朱引き内」という
言葉が何度も出てくる。
 維新後4~50年の東京人の中にも
「 朱引き内」の江戸は生きていたのだった。

 
 海舟は総攻めに備えて、江戸を詳しく調べた。
人口は150万人だったと後に語っている。

都府は徳川のものでなく、公のものと彼が言う時、
“公”とは、薩長は勿論、幕府でも朝廷でもなかった。
このあと三十年の彼の余生の間にも実現しなかった
日本のあるべき姿が海舟の頭の中には生まれていたのだった。



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五月国立大劇場だより五拾弐

      パックス・トクガワーナ

 「負け戦の官軍は、不思議にも一歩づつ勝ちもした。
勝つべき筈の幕府軍は、不思議にも一歩づつ負け申した。
この一事は、お互いに考えんならんことでごわすなァ、勝先生」
  (江戸城総攻 第三部
          将軍江戸を去る)



 徳川幕府のあっけない幕引きに、   
 “石垣の石をひとつさえ取れば、
ガラガラと崩れるように権現様
(徳川初代将軍・家康)が、
幕府の仕組みを作っておいたのだ”
と言った人さえあった。

わが死骸を西(薩長ら不穏勢力地)に向かって
埋めよ、と遺言した家康がそんな用意をした
筈もないのだが。

           南禅寺そばの東照宮
                   
織田(信長)が搗(つ)き、羽柴(秀吉)が捏(こ)ねし
天下餅
ただ楽々と喰うは、徳川(家康)


 狂歌子にもからかわれる家康は、
戦国ギャルにも評判芳しからぬこと
想像に難くないが、300年の太平を築いた男にも
何度かのブームががあった。
今は、お隣・中国で『徳川家康』ブームが起きている。 

 徳川体制は沢山の不遇なものも生んだろうけれど、
全てを現在の基準やひとつの思想に当てはめても
ただの揚げ足取り。

「三河の大庄屋が三百年
日本国の総名主になったと思えば、
権現様だって御不足はあるまい。はゝはゝゝ。」
  (江戸城総攻 第一部
        江戸城総攻)


 パックス・トクガワーナ(徳川の平和)
と評価される300年の
「太平」を築き、時代に合わなくなった時、
自ずから滅んでいったのだった。


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五月国立大劇場公演だより

   ケッコウと言うな
                         四宿の“へ~?!”

                        上野東照宮。日光のほかにも各地に東照宮がある

千住を第一宿とする日光街道の終点は東照宮。
                      
 日光山は、源頼朝以来の東国の鎮め。
徳川初代の家康は、一周忌にここに祀るよう遺言。
東照大権現という日本の守り神となった。

「日光を観ずに結構というな」
「日光見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」
絢爛な社殿は様々に謳われた。
  
 皇族出身の輪王寺宮が、
日光と上野・東叡山、京都・比叡山の三山を統括し、
威を振るった。
ケイキさんが謹慎した寛永寺の貫主が輪王寺宮。
ケイキが去ったのち、彰義隊が担いだのが、
輪王寺宮。
              上野動物園側から見た上野東照宮

上野に住む輪王寺宮が日光へ往復するのも、
将軍が日光に参拝するのも
この千住を通る日光街道だった。



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五月国立大劇場公演だより

         慶喜回復


「慶喜さまは殺せない、殺せない。
長く生かして時勢の移り変わりを、
お目にかけずにはいられないのだよ。」
     (『江戸城総攻』第一部
               『江戸城総攻』)


 東京と名の変わった江戸の土を、
ケイキさんが再び踏んだのは三十年後。
 宮城(皇居)と名の変わった江戸城に於いての
明治天皇との会見への尽力は、
海舟のこの世への置き土産となった。

        墨田河畔に立つ海舟像

15年前に海舟が成し遂げた
西郷隆盛の名誉回復が、やはり
その遺児の参内であったように、
“朝敵”の悪名からの回復は
当時この方法しかない。 

 維新を遠く離れ、
“官軍”に勝る軍事力を持つ徳川が
戦争に持ち込んだならばどうなっていたか、
人々は冷静に考えるようになって、
ケイキさんの恭順が再評価され始めていた。

       千住大橋たもとのスサノオ神社の雛飾り

参内の翌日は桃の節句、
ケイキさんは海舟を訪れた。
 海舟は翌年没したが、
ケイキさんは大正時代の初めまで
時勢の移り変わりを
目の当たりにしたのだった。



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