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『さんしょう太夫』だより
テレビを降りて・・・
今回は『さんしょう太夫』で、太夫の末の倅・三郎を演じていらっしゃる、
益城宏さんにお話をうかがいました。
この先輩と私芳三郎は、『さぶ』という芝居で、
益城さんの栄二、私のさぶで、長いことコンビを組ませていただきました。
とっても面倒見の良い兄貴分です。
三郎の扮装です。
歌舞伎のメークを取り入れて、
荒々しさ、残忍さを出していますね。

かつらも凝った作りになっていて、髪の毛がちぢれ毛になっています。
さて、益城さんも『さんしょう太夫』には長いこと関わっています。
きっといろんなエピソードがあるはず!
うかがってみましょう。
芳三郎「さんしょう太夫について、どんな思い出がありますか?」
益 城「忘れられないのは、なんといっても沖縄の体育館公演だね」
芳三郎「でました!体育館!・・そうきましたか、で、どんなことが?」
益 城「あれはね・・たしか、1979年の巡演だね」
芳三郎「33年前!!・・益城さんが、バリバリの若手だった頃ですね」
益 城「まあね。
ある先輩が旅の始めに体調を崩してしまって、
悪化したらこの先舞台を務められないかもしれない。
だから急遽沖縄に飛んで、さんしょう班に参加しろと言われたんだな」
芳三郎「へぇ~・・そんなことが。
でも益城さんのスケジュールが空いてて良かったですね」
益 城「いや、空いてなかったよ。
梅之助さん主演の時代劇「伝七捕物帳」の出演が決まって、
撮影の予定が入ってた。
その仕事を降りて沖縄に飛んだ」
芳三郎「えー!!?・・それは・・ちょっと、悔しかったんじゃないですか?」
益 城「でもしょうがないよ、緊急事態だったんだから。
当然稽古もなくて、とにかく沖縄に行って班に合流して、
演出部の仕事を手伝いながら舞台を見て覚えて、
その先輩の体調が悪化したら、すぐに代わって舞台に立てということだった」
芳三郎「いや~・・それは大変でしたね。
で、結局代役に立ったんですか?」
益 城「うん・・それがな、その先輩体調が悪化することはなく、
無事に千穐楽まで舞台を務めることができた。
だから、おれはずっと演出部の仕事をして旅を終えた」
芳三郎「・・・・なんとも、気の毒でしたね・・」
益 城「でもな、そのおかげで体育館仕込みのことは、なにからなにまで覚えたよ」
芳三郎「そうですね!!
・・僕も益城さんから体育館仕込みのこと、いっぱい教わりましたもん!
ほかに何かありますか?」
益 城「あのときの旅はな、巡演中に公演が増えていったんだな。
スタートした時点では40ステージだったのが、最終的には45ステージになった」
芳三郎「巡演中に公演が増える・・・今じゃ絶対考えられないですね」
益 城「うん。
あのとき芝居の評判が評判を呼んで、
他の学校からぜひうちでも公演をと、要望が来た。
なにしろ自分とこの体育館でやるわけだから、
こっちのスケジュールさえ空いていれば公演はできたんだ。
おかげで、旅中の空き日はほとんど無くなったけどな(笑)」
芳三郎「いくら自由の利く体育館公演と言っても、5回も公演が増えるなんて。
『さんしょう太夫』って凄いですね」
益 城「それだけ魅力のある芝居なんだよ。
だからもうすぐ1000回なんだ」
その通り!!『さんしょう太夫』班、本日富山にて、981回目の公演です。
嵐芳三郎
今回は『さんしょう太夫』で、太夫の末の倅・三郎を演じていらっしゃる、
益城宏さんにお話をうかがいました。
この先輩と私芳三郎は、『さぶ』という芝居で、
益城さんの栄二、私のさぶで、長いことコンビを組ませていただきました。
とっても面倒見の良い兄貴分です。
三郎の扮装です。
歌舞伎のメークを取り入れて、
荒々しさ、残忍さを出していますね。

かつらも凝った作りになっていて、髪の毛がちぢれ毛になっています。
さて、益城さんも『さんしょう太夫』には長いこと関わっています。
きっといろんなエピソードがあるはず!
うかがってみましょう。
芳三郎「さんしょう太夫について、どんな思い出がありますか?」
益 城「忘れられないのは、なんといっても沖縄の体育館公演だね」
芳三郎「でました!体育館!・・そうきましたか、で、どんなことが?」
益 城「あれはね・・たしか、1979年の巡演だね」
芳三郎「33年前!!・・益城さんが、バリバリの若手だった頃ですね」
益 城「まあね。
ある先輩が旅の始めに体調を崩してしまって、
悪化したらこの先舞台を務められないかもしれない。
だから急遽沖縄に飛んで、さんしょう班に参加しろと言われたんだな」
芳三郎「へぇ~・・そんなことが。
でも益城さんのスケジュールが空いてて良かったですね」
益 城「いや、空いてなかったよ。
梅之助さん主演の時代劇「伝七捕物帳」の出演が決まって、
撮影の予定が入ってた。
その仕事を降りて沖縄に飛んだ」
芳三郎「えー!!?・・それは・・ちょっと、悔しかったんじゃないですか?」
益 城「でもしょうがないよ、緊急事態だったんだから。
当然稽古もなくて、とにかく沖縄に行って班に合流して、
演出部の仕事を手伝いながら舞台を見て覚えて、
その先輩の体調が悪化したら、すぐに代わって舞台に立てということだった」
芳三郎「いや~・・それは大変でしたね。
で、結局代役に立ったんですか?」
益 城「うん・・それがな、その先輩体調が悪化することはなく、
無事に千穐楽まで舞台を務めることができた。
だから、おれはずっと演出部の仕事をして旅を終えた」
芳三郎「・・・・なんとも、気の毒でしたね・・」
益 城「でもな、そのおかげで体育館仕込みのことは、なにからなにまで覚えたよ」
芳三郎「そうですね!!
・・僕も益城さんから体育館仕込みのこと、いっぱい教わりましたもん!
ほかに何かありますか?」
益 城「あのときの旅はな、巡演中に公演が増えていったんだな。
スタートした時点では40ステージだったのが、最終的には45ステージになった」
芳三郎「巡演中に公演が増える・・・今じゃ絶対考えられないですね」
益 城「うん。
あのとき芝居の評判が評判を呼んで、
他の学校からぜひうちでも公演をと、要望が来た。
なにしろ自分とこの体育館でやるわけだから、
こっちのスケジュールさえ空いていれば公演はできたんだ。
おかげで、旅中の空き日はほとんど無くなったけどな(笑)」
芳三郎「いくら自由の利く体育館公演と言っても、5回も公演が増えるなんて。
『さんしょう太夫』って凄いですね」
益 城「それだけ魅力のある芝居なんだよ。
だからもうすぐ1000回なんだ」
その通り!!『さんしょう太夫』班、本日富山にて、981回目の公演です。
嵐芳三郎
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- カテゴリ : さんしょう太夫
- 2012-07-27
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