Entries
『法然と親鸞』だより
行く川の流れは絶えずして
しかも もとの水にあらず

歌舞伎十八番『鳴神』のモデルと言われる北山・志妙院を発した鴨川(加茂川・賀茂川)は、

京都市街を貫いて、我らが南座の西を流れます。


当時の鴨川は、最高権力者・白河法皇でさえ「思うままにならない三つのもの」の筆頭に上げた暴れ川。ちなみにあとの二つは、比叡山の僧兵とサイコロの目。

河原の施粥小屋を法然上人が訪れるのは、南座のある四條よりずっと上流、下賀茂神社の辺りでしょうか。
『方丈記』(鴨長明)は、法然上人の没年に世に出た本ですが、飢餓疫病で都大路に倒れた死体を数えたら43200余りあったと記しています。
祇園祭もその起源は、 疫病の流行を鎮める為に生まれました。
17日夜、八坂神社から移った神輿は、24日の御還御まで四條のお旅所に安座します。


この七日間、深夜の無言詣りを続けると想いが叶うと言われています。
しかも もとの水にあらず

歌舞伎十八番『鳴神』のモデルと言われる北山・志妙院を発した鴨川(加茂川・賀茂川)は、

京都市街を貫いて、我らが南座の西を流れます。


当時の鴨川は、最高権力者・白河法皇でさえ「思うままにならない三つのもの」の筆頭に上げた暴れ川。ちなみにあとの二つは、比叡山の僧兵とサイコロの目。

河原の施粥小屋を法然上人が訪れるのは、南座のある四條よりずっと上流、下賀茂神社の辺りでしょうか。
『方丈記』(鴨長明)は、法然上人の没年に世に出た本ですが、飢餓疫病で都大路に倒れた死体を数えたら43200余りあったと記しています。
祇園祭もその起源は、 疫病の流行を鎮める為に生まれました。
17日夜、八坂神社から移った神輿は、24日の御還御まで四條のお旅所に安座します。


この七日間、深夜の無言詣りを続けると想いが叶うと言われています。
0件のコメント
コメントの投稿
0件のトラックバック
- トラックバックURL
- http://koendayori.blog111.fc2.com/tb.php/16-bb0fa44f
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

