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宮古市へ―『怒る富士』
盛岡市からお隣の宮古市へ。
”お隣”と言っても三陸海岸近くの会館までは、
北上山地を越えてバスで二時間。

《長いトンネルを抜けると、またすぐトンネルだった・・・≫
数え切れないほどのトンネルをくぐるこの国道106号は、
重機もない250年前に、鞭牛(べんぎゅう)和尚が開いた宮古街道が元。
走ってみると、点滴石を穿つようなその営みに頭が下がります。
東日本大震災・復興支援5周年企画の『怒る富士』ですが、
今コースで直接津波被災の地での公演は
この宮古が唯一。


《会館正面には、津波到達点のプレートが≫
本州最東端のまち・宮古の市民会館ですから、
本州最東端の会館なのでしょう、多分。
会館の入口には津波到達点が記されています。
有数の木材輸入港である宮古湾の津波は
丸太を乗せて押し寄せ、会館も大破、
一年半前に改修が成って、再開しました。
鮭が泳ぐ緞帳も鮮やかです。
富士山の記章を胸にお迎え下さった実行委員会の皆様は、
「文化の復興はこれから!」と意気軒高。
その熱い想いを受けて1000近い座席はほぼ満席。
文化の復興の道のりの小さな、でも
確実な一歩に立ち会えました。次に御伺い出来る日が楽しみです。

《終戦五日前の機銃掃射跡が残る鉄橋。津波に流されたものを展示しています≫
喜八郎☆記
”お隣”と言っても三陸海岸近くの会館までは、
北上山地を越えてバスで二時間。

《長いトンネルを抜けると、またすぐトンネルだった・・・≫
数え切れないほどのトンネルをくぐるこの国道106号は、
重機もない250年前に、鞭牛(べんぎゅう)和尚が開いた宮古街道が元。
走ってみると、点滴石を穿つようなその営みに頭が下がります。
東日本大震災・復興支援5周年企画の『怒る富士』ですが、
今コースで直接津波被災の地での公演は
この宮古が唯一。


《会館正面には、津波到達点のプレートが≫
本州最東端のまち・宮古の市民会館ですから、
本州最東端の会館なのでしょう、多分。
会館の入口には津波到達点が記されています。
有数の木材輸入港である宮古湾の津波は
丸太を乗せて押し寄せ、会館も大破、
一年半前に改修が成って、再開しました。
鮭が泳ぐ緞帳も鮮やかです。
富士山の記章を胸にお迎え下さった実行委員会の皆様は、
「文化の復興はこれから!」と意気軒高。
その熱い想いを受けて1000近い座席はほぼ満席。
文化の復興の道のりの小さな、でも
確実な一歩に立ち会えました。次に御伺い出来る日が楽しみです。

《終戦五日前の機銃掃射跡が残る鉄橋。津波に流されたものを展示しています≫
喜八郎☆記
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- カテゴリ : 怒る富士
- 2016-07-24
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