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『薄桜記』静岡巡演千穐楽 嵐芳三郎
嵐芳三郎です。
1月16日、沼津にて初日を開けた『薄桜記』静岡の旅は、2月7日三島にて、「伊豆市民劇場」さんの例会で無事千穐楽を終えました。この作品を初めて例会に取り上げて下さいました、静岡県の皆様に改めまして心から御礼を申し上げます。
さて、私がやらせて頂いた「丹下典膳」という人物。

自分には全く非が無いのに、左腕を切り落とされ旗本の身分も剥奪され浪人に落ちぶれます。

妻から、なぜ真実を言わず全ての責任を負うのかという問いに、「武士とはそういうものだ」と胸を張って言い切る人です。怒ることも、嘆くことも、人をなじることもせず、運命を受け入れる。現代では到底理解できないけど、江戸時代のまっとうな武士には本当にこんな人がいたのだと、信じています。
そして、片腕になった夫の今後の生活を心配する、妻を安心させるためにこんな言葉をかけます。
「神君、家康公はこう仰せになられた。人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくが如し・・・」
この徳川家康公が残された御遺訓の全文をご紹介します。
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし。心にのぞみおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ。勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害其の身に至る。己を責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」
旗本の典膳としては、この御遺訓が武士としてのあり方なのです。
さて、この芝居のクライマックスは、片腕の剣豪丹下典膳と、堀部安兵衛を含む三人の赤穂浪人との死闘です。その様子を一枚の写真でご紹介してこのブログを終わります。
右腕で安兵衛の動きを封じつつ、睨みで他の二人をけん制する典膳。

記 嵐芳三郎
1月16日、沼津にて初日を開けた『薄桜記』静岡の旅は、2月7日三島にて、「伊豆市民劇場」さんの例会で無事千穐楽を終えました。この作品を初めて例会に取り上げて下さいました、静岡県の皆様に改めまして心から御礼を申し上げます。
さて、私がやらせて頂いた「丹下典膳」という人物。

自分には全く非が無いのに、左腕を切り落とされ旗本の身分も剥奪され浪人に落ちぶれます。

妻から、なぜ真実を言わず全ての責任を負うのかという問いに、「武士とはそういうものだ」と胸を張って言い切る人です。怒ることも、嘆くことも、人をなじることもせず、運命を受け入れる。現代では到底理解できないけど、江戸時代のまっとうな武士には本当にこんな人がいたのだと、信じています。
そして、片腕になった夫の今後の生活を心配する、妻を安心させるためにこんな言葉をかけます。
「神君、家康公はこう仰せになられた。人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくが如し・・・」
この徳川家康公が残された御遺訓の全文をご紹介します。
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし。心にのぞみおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ。勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害其の身に至る。己を責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」
旗本の典膳としては、この御遺訓が武士としてのあり方なのです。
さて、この芝居のクライマックスは、片腕の剣豪丹下典膳と、堀部安兵衛を含む三人の赤穂浪人との死闘です。その様子を一枚の写真でご紹介してこのブログを終わります。
右腕で安兵衛の動きを封じつつ、睨みで他の二人をけん制する典膳。

記 嵐芳三郎
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- カテゴリ : 『薄桜記』
- 2018-02-07
- コメント : 2
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2件のコメント
[C262] また観たい
- 2018-02-08
- 編集
その後もう一度見ようと妻と京都南座で2回目を観劇しました。
二度目のほうがより感激しました。