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『裏長屋騒動記』益城宏です!

私にとっての熊本

 私の芸名は「益城 宏」と書いて、「ますきひろし」と読む。今の妻と結婚するまでは私の本名だった。
 熊本には、この苗字と同じ字を書く地域がある。上益城郡・下益城郡そして益城町。「益城」と書いて「ましき」と読む。
 以前40年ほど前だろうか、今西 祐行作「肥後の石工」という芝居(肥後の石工とは芝居のストーリーとは多少異なるが、上益城郡山都町・旧矢部町にある通潤橋や、下益城郡美里町にある霊台橋や、皇居にある二重橋などを作った石工たちのこと)で「宇助」というヒーローの役をもらい、熊本で公演した時、地元の方に「益城さんあなたは、宇助の役についたから、芸名で『益城』と名乗ったのですか?」と聞かれた。私は「いいえ、これは本名です」と答えたら、「ええ、こんな苗字があるんですか」と驚かれていた。私は「熊本にこの地名があることは知っていますが、熊本にもこの苗字を名乗っている方もいるのではないのですか」と尋ねたら「熊本では、益城という苗字は聞きません」とのことだった。
 私の故郷は、青森県むつ市。そして父の出身地は、本州最北端の『大間町』。益城家の本家はその町にあった。叔父の代で没落してしまったが、明治の初め頃から商売を始め、祖父の代まで、田舎ではあるが、かなり手広く商いをしていた。幼心に本家の繁栄は覚えている。思えば、青森県内で「益城」の苗字を名乗っているのは、私たち一族だけである。
 なぜ、「熊本」とは遠く離れた「大間」の地に、「益城」という苗字が存在するのか。まだ定かではないが、20年ほど前に熊本で公演した時、公演後の交流会で郷土資料に詳しい方に、「細川藩で、幕末か明治初期に、北海道に行かれた方はいませんか?」と尋ねたことがある。そうしたら「たしか幕末に、五稜郭を治めるために、歩兵として200〜300人の部隊が派遣されたという資料を見た記憶がある」と言っておられた。確かめてはいないが、それが事実だとすると、私のルーツは、上益城郡・下益城郡となるのかもしれない。それも「農民兵」。武士ではない。なぜなら、武士にはもともと苗字がある。とすれば、「益城」の苗字は残っているはずである。
 大間の地は、津軽海峡越しに北海道が望める。ここから漁船をチャーターした部隊の農民兵の一人が熊本に帰らず、大間で商売を始め、明治になって名を名乗れと言われて、自分の故郷である「益城」を苗字にしたのではないか。私の勝手な空想・夢は広まる。
 3年ほど前熊本は、激しい地震に襲われた。上益城郡・下益城郡・益城町も甚大な被害にあった。実は、今の妻のルーツも益城町なのである。先祖が赤星と名のり、「加藤清正」の専属の染物工だったらしい。親戚の方が熊本市と益城町にいる。家が潰れる被害にあった。震災直後、妻と共に支援に行こうとしたら、対応が出来ないから、今は来ないでと断られた。多少の物資を送る事しか出来なかった。遅々たる復興に心を痛めている。
 市民劇場の例会や実行委員会の公演で、毎年のように熊本を訪れるが、なぜか心が安らぐ。私の体に流れている血のせいだろうか(私の勝手な空想だが)。
 3月30日・31日と熊本市民劇場の例会で「裏長屋騒動記」の公演をした。2年半前の例会「切られお富」以来の熊本公演である。懐かしい顔がいっぱいいた。その中に妻の親戚の山邊満寿子さんも担当サークルとしてお手伝いをしてくれていた。本当にありがたいことだ。
 公演は、会場中が爆笑の渦の中で大成功に終了した。
 次の熊本公演は、市民劇場も関わってくれる「ちひろー私、絵と結婚するのー」である。菊池市(10月13日)と熊本市(10月14日)での公演である。今年のうちに、また熊本に来られることが本当に嬉しい。
 4月1日、桜満開の熊本を後にした。熊本の親切な優しい人々よ、『また会う日まで』。
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4月1日 福岡にて記  益城 宏
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