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『解脱衣楓累』だより

     累サン またね・・・


 早いもので名古屋の初日から一と月、
浅草の千穐楽を迎えてしまいました。

 こんど貴女に会えるのは、
早くても二、三年後ですね。
また一緒に津々浦々を巡る日を
心待ちにしています。

 その時には
鑑のように磨かれた
鎌のように切れ味のいい
蝶のように軽やかな前進座で
会えるよう
累サンのいない日々を
一同精進します。

 累さん ありがとう
    また近いうちに




 『解脱衣楓累』をご覧頂いた皆さま、有難う御座いました。

来春新作世話物『双蝶々雪の子別れ』、
五月国立は松本清張原作の前進座世話物『左の腕』と
真山青果三部作から再構成した幕末群像『江戸城総攻』。


 前進座ならではのカブキが続きます。


        松涛喜八郎☆記
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7件のコメント

[C31]

大阪公演ご案内いただいたのに拝見できませんでしたので、
公演だよりをせめて読ませて頂きました。
20年前に尾道で累を拝見したことを思い出します。
お元気でご活躍下さい。
来春の国立文楽劇場の公演を楽しみにしております。
  • 2008-10-25
  • 投稿者 : 竹田 かおり
  • URL
  • 編集

[C32] 同じ累と与右衛門でも…

10/25に 浅草公会堂で鑑賞しました。感想を書いたので送ります。 よく分からないままに書いています。申し訳ないです。

前進座と言えば、『女殺油地獄』、『俊寛』、『魚屋宗五郎』、『文七元結』、『一本刀土俵入り』など、現代的な心理劇の要素を持つ演目や、市井に取材した演目を上演するという印象があるが、この『解脱衣楓累』は、少し毛色が違っている。なにしろ鶴屋南北だ。交錯した人間関係、交錯したストーリーが予想できて、とてもストレートな感情表現ができない演目だろうと思った。そして、心理劇という面が薄く、色と悪が蠢いて、歌舞伎独特のアクを持つ演目だろうから、前進座に合っているのだろうかと心配したのだが、10月25日、千秋楽に鑑賞して、南北の戯曲の持つ本来の面白さを堪能できた。また、純粋な歌舞伎というものを、楽しむことができた。

何を持って『純粋』かと言うと、『誰々が演じる弁慶』、『誰々が演じる助六』ということではなく、演目自体が持つ筋の面白さ、形の美しさを、劇団員全員で追求し、前面に打ち出したという点を、私は『純粋』と表現しているつもりだ。

松竹の大歌舞伎は、役者に多くのものを負っている。『團十郎の歌舞伎』、『勘三郎の歌舞伎』というように、役者イコール歌舞伎であると言ってもいい。役者の魅力が無ければ、歌舞伎は成立しないと言ってもいい。
ここのところが、前進座は違っている。私が前進座の役者さんをよく知らないということもある。そう言えば、この夏、中村翫右衛門さんの著作を読んだが、前進座の役者さんについて、知識しか無いので、そもそも役者さんに注目して見るということができない。
しかし、それ以前に、前進座の役者さんは、自分を見せようとするよりも、役を見せようとしているように感じられた。どの役者さんも役に忠実に、端正に演じているという印象を持った。台詞が聞こえ辛いということが無い。皆さん、口跡が明瞭で、声が通る。手を抜く感じが無い。嵐圭史さん、河原崎國太郎さん、藤川矢之輔さん、瀬川菊之丞さん、嵐広也さん、鈴木大さん、メインキャストががっちりと組み合って、『一つの良い作品を作り上げるぞ』という意識が強い。これは、松竹大歌舞伎で言えば、端役まで大事にし、大勢での立ち廻りに力を入れている菊五郎劇団にその傾向の片鱗はある。
ただ、前進座の舞台を見慣れていない私にとっては、それぞれの役者さんが持つ個性や、愛嬌、アクのようなものが感じ取れるところまで、今回の観劇では行かなかったのだとは思う。

幕切れの『絹川堤の場』では、9月新橋演舞場の『色彩間苅豆』と同じように、累と与右衛門の鎌を振り上げての殺しの場面が演じられ、上空に浮いた累が逃げようとする与右衛門を引き寄せようとする、連理引きでの幕となる。海老蔵さん、亀治郎さんにあった舞台の華が、前進座の舞台にあるか…と言われれば、そうとは言えないのだが、歌舞伎のエッセンスが凝縮していて、優るとも劣らぬ舞台となっている。

本物の雨が降っている。役者さんはさほど濡れてはいかないので、一枚の幕のように本水を降らせているのだろう。雨の幕の前で、また雨の幕ごしに、美しい殺しの場面が展開する。『累』物に共通しているのか、この舞台の累も足を引き摺り、片目に怪我を負っている。なぜそうなったかは、『色彩間苅豆』とは違って、この演目独特の理由がある。
雷鳴がとどろき、稲妻が走るたび、累に、その姉である『お吉』が憑依する。お吉はすでに破戒僧『空月』によって序幕で殺されており、しかし、その美しい顔に余程の執着があるのか、空月はその生首を持ち歩いている。お吉のほうも死して尚、空月に未練と恨みがあり、白い蝶になって、空月に纏わり付いている。
その瓜二つの顔を持つ累とお吉が、殺しの場で目まぐるしく入れ替わる。河原崎國太郎さんは、まだ生きている累と、死霊であるお吉を、声のトーンを変え、動きを変えて、しっかりと演じていた。ここは、最大の見せ場だ。
そして、小気味の良いツケの音と共に、殺し殺される場の美しい見得が、立て続けに決まっていく。寸分の狂いもない、迷いのない、美しい見得だ。こんなに美しい見得の連続を、未だ見たことがない。
この演目は通し狂言だったので、展開に中だるみの見える幕もあったが、幕の終わりに必ず入る見得は、切れが良く、美しく、特に印象的だった。
こんなに少しもズレることなく、皆が呼吸を合わせてピタッと決まるのは、余程の練習を積んでいるのだろう。連続して決まる見得で、ズレ始めたら、目も当てられない。
はっきり言って、この点では、松竹大歌舞伎は劣っている。『連続して決まっていく見得』など、やらないというのではなくて、できないのではないか…と思ってしまった。松竹大歌舞伎の初日の出来を考えると、練習不足は否めない。

生首を持ち歩くところといい、お吉の亡き骸から生まれた赤子といい、その赤子を水に流して殺してしまうところといい、かなりドロドロした内容で、まさに鶴屋南北そのものである。しかし、ドロドロしていながら、ひらひらと舞う白い蝶が、全体を柔らかな空気で包む。
前進座初演でお吉と累の二役を演じた故六代目嵐芳三郎が、『役者冥利に尽きる』と言ったらしいが、この『絹川堤の場』の迫力を考えると、その気持ちもよく分かる。ひじょうに面白い脚本だ。

「大向こう」からは、バンバン声が掛かっていた。固定のファンがかなりいらっしゃるようで、丸藤の磯兵衛を演じた津田恵一さんが登場しただけで、客席は大盛り上がりを見せていた。現代的なギャグも入ったりするのだが、松竹大歌舞伎の『助六』のギャグほど、下品でないのがいい。しかし、『どこへ行ったか、リル』って、いったい、いつの歌だろう。

大学生の時、友人と吉祥寺に行って以来の、前進座観劇だった。5月に国立劇場で、真山青果の『江戸城総攻』と、松本清張の『左の腕』をやるらしい。ぜひ、観に行こうと思う。

[C33] 入江九一に再会

なんと、与右衛門を演じた藤川矢之輔さんは、大河ドラマ『花神』の入江九一ではないですか。
『花神』のホームページの配役を見て、びっくり!!

蛤御門の変で戦死した入江九一は、とても印象に残っていたのですが、あの俳優さんは誰なのだろうと思いつつも、調べるまでには至っていませんでした。
『あの入江九一だ!入江九一に再会した!』と狂喜乱舞している私を見ている主人は、なぜか涙ぐんでおりました。
私があんまり嬉しそうなので、感動したのだそうです。

[C34] 花神

 禁門の変で戦死した松下村塾四天王・入江九一は、
確か原作には、後頭部を斬り付けられて眼球が飛び出す
壮絶な最期が描かれていて別の意味でも印象深いです。
 現・矢之輔の入江戦死は、『花神』総集編に残っています。

 もう一人、菊川女房小夜風を演じた辰三郎も
高杉晋作軍と対峙する長州の役人
根来上総として昔の名前で出ています。
 こちらも長台詞を語るシーンが
丸々総集編にも残っております。

  • 2008-11-04
  • 投稿者 : 如風
  • URL
  • 編集

[C35] 鮮明な記憶です!

久坂玄瑞がいる場所に、入江九一が倒れ込んできたのではなかったでしょうか。入江九一は矢が目に刺さっての、最後だったような記憶があり、久坂玄瑞は誰かと刺し違えての最後だったような気がします。

私は中学一年生だったのですが、歴代大河ドラマの中で、『花神』が最高だと確信しています。昨日見た映像のように、ありありと思い出されます。梅之助さんの存在感。『大村益次郎はこんな男だ』という説得力。脇を固める役者さんたちからも、熱気が伝わってきていました。あんな心打たれる史劇に、そう出会えるものじゃない。

『花神』、総集編、探してみます。
情報ありがとうございました。

[C36]

『蛤御門の変』だとばかり思い込んでいましたが、『禁門の変』でした。失礼いたしました。

[C38] yokobotti

先日、国立劇場で、吉右衛門さんが井伊直弼を演じた『大老』を見ました。
ある部分では納得する舞台ではあったのですが、本格的な史劇としては、疑問を感じました。
人気のある役者に良い役を演じさせようという配慮によるのか、まるで主役の側にしか正義がないような脚本に失望しました。

けっして正義は、一つきりでは無い。井伊直弼の側に正義があれば、水戸浪士にも正義がある。
舞台上に正義が二つ存在すると、舞台は成立しないのでしょうか。そんなことは無いと思います。脚本をもっと練ってほしい。成熟した観客の目に、もっと期待してほしいと思いました。

拮抗する価値観があるからこそ、主人公は苦悩する。舞台上に井伊直弼の苦悩する姿は充分に描かれているのですが、その苦悩の実質が描かれないため、それを実感できませんでした。
二つの正義を描くことを避けたがために、舞台が薄くなってしまったと感じました。

前進座に期待したいのは、本格的な史劇です。全ての歴史のドラマは、相克する二つの正義の間に生じる…と思います。安易なところに逃げない史劇が見たいです。
  • 2008-11-06
  • 投稿者 : yokobotti
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