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【「無言館」、そして“親友”を訪ねる旅】柳生啓介

いよいよ『ちひろ―私、絵と結婚するの―』の稽古が始まります。

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『ちひろ』初出演!
私は昨年秋の初演の舞台には出演していませんでしたので、このプレッシャー、緊張感たるや尋常ではありません。何しろ私以外は全て初演メンバー、たった一人の新参者の私が皆の足を引っ張るわけにはいきません。稽古入りまでのこの期間をいかに過ごすかが私の大きな課題です。
私はちひろが最初に就職する人民新聞社の同僚の記者で、詩人でもある野々山悟という役を演じます。ちひろさん、善明さんを始め、この芝居に登場する人びとのほとんどが実在の方々をモデルにしていますが、この野々山だけは作家朱海青さんが創作した人物。物語の狂言回し的な役割を担いつつ、純真で明るく懸命に生きるちひろさんにいつしか恋心を抱くというちょっと“つらい”役でもあります。
野々山は、ニューギニアで戦死した伊澤洋(いざわひろし)という画学生の友人で、彼の書き遺した《家族》という絵を今も大切に預かっています。この伊澤さんという戦没画学生は実在の方で《家族》という作品は現在長野の「無言館」に展示されています。伊澤さんの“親友”役である私は、この絵に、伊澤さんへ会いにゆかねばなりませんでした。

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8月26日。上田電鉄塩田町駅からシャトルバスで10分。

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『無言館入口』で下車。蝉が激しく鳴く木立、息が切れそうな急な坂道を登ると丘の上に教会のような美術館「無言館」がひっそりと建っていました。

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「無言館」は徴兵により画家としての夢を断たれ戦地で死んでいった美術学生たちの絵だけが展示されている美術館です。平日にもかかわらず美術館には多くの人たちが訪れていました。館内は“清謐(せいひつ)”そのもので物音一つしません。私の隣で美大生風の若い女性が鼻をすする音だけが聞こえます。初めて知覧特攻記念館を訪れた時以来の衝撃でした。これほど人の心を強く動かす美術館は他にはないと思います。どの絵からも、
「もっと絵を描きたい」「生きたい」
という声なき叫びが聞こえて来るようでした。
応召一ヶ月前に描かれた伊澤洋さんの《家族》は、新聞を読む父、着物を着た母、蓄音機から流れる音楽に耳を傾けるスーツ姿の兄、編み物をする妹、一番後ろで絵筆を握る画学生…裕福で幸せそのものの家族団欒の光景を描いています。

実はこの絵は、
「いつか家族でこんな団欒をしたい」
という作者伊澤さんの空想画で、貧乏な農家で苦しい家計から自分を美術学校に送り出してくれた家族への精一杯の感謝が込められています。その隣には召集令状を受け取った翌日に描かれた《風景》という絵も展示されていました。


8月28日。私はJR宇都宮線の「自治医大駅」に降り立ちました。ここから車で20分、栃木県下野市南河内町が伊澤洋さんの実家のあるところです。
「無言館」館長の窪島誠一郎さんが書かれた『無言館への旅』という本の中に、窪島さんが洋さんの兄、伊澤民介さんを訪れた様子が詳しく記されています。
その民介さんも亡くなり、私がご遺族に連絡を取ることは不可能でしたが、その本を頼りに民介さんが俳句を教えていたという公民館を目印に洋さんのご実家に向かいました。タクシーを降りて田んぼと畑しかない田舎道をうろうろしていると「伊澤家之墓」が見つかりました。奇跡だぁ!

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「どうか『ちひろ』公演が無事に終わりますよう、お見守りください」
私は
『戦没画家 東京美術学校 油画科 伊澤洋之墓』
と書かれたお墓に手を合わせました。

「洋さんの家はどこだろう?」
お墓の横の、右側に樹木が鬱蒼と生い茂った細い畦道を奥に入りました。
「この道何か見覚えあるなぁ」「岡山のおばあちゃんちの田舎道に似てるのかなぁ」
とぶつぶつ独り言を言いながら木立の道を歩いていると古い木造のすっかり朽ち果ててしまった廃屋がありました。

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私は直感的にここが伊澤さんのご実家に違いないと確信して廃屋のまわりをうろうろしておりますと隣の家の方が不審に思い、声をかけてきました。
「あんた、誰?何の用ね、どこからいらした?」
私が事情を話すと確かにここが伊澤民介さんの家に間違いないとのことです。今は誰も住んでなくてこのような廃屋になっているが向かいの伊澤一(かず)さんが民介さんの親戚だからその家で詳しく聞くといい、と親切に教えてくださいました。ちょうど腰の曲がったおばあさんが玄関から出てこられたのでお話をうかがいました。
「民介さんは20年前に亡くなったけど、一人娘が今埼玉の方に住んどる」「確か今年も年賀状が来とった」
と年賀状を探してくださいました。葉書には《埼玉県吉川市 山口方子》と記されていました。

9月3日午後。JR武蔵野線吉川駅から徒歩5分という地の利の良いマンションに山口方子(みちこ)さんはお住まいでした。電話番号がわからなかったので一か八かのアポなしでの訪問でしたが、
「叔父様の伊澤洋さんのお話をうかがいにまいりました」
と言うとビックリされ、そして大変喜ばれて、駅前の喫茶店に連れて行ってくださいました。白髪のショートカット、小柄でとても上品なご婦人です。
方子さんは終戦後の1946年生まれで、叔父さんを直接には知らないけれど、お父様の民介さんから洋さんのことを詳しく聞いておられました。
洋さんはご家族からは“ヒロちゃん”と呼ばれていました。中学を卒業されたあと実家で農業をされていたのですが画家の夢が諦めきれなくて本郷洋画研究所に飛び込んだそうです。洋画研究所で岡田三郎助先生に師事し、その後名門東京美術大学に入学。合格するはずがないと思っていたのに見事合格して家中大騒ぎ、大喜びでした。
「岡田三郎助先生の弟子だったちひろさんとはきっと洋画研究所で何度も会っているはず」
と方子さんはおっしゃいます。
民介さんは亡くなるまでずっと、
「《家族》の絵を遺してくれたことはとてもありがたいことなのだけど、やっぱり死んでは何にもならない、諦めきれない、生きて戻って来てほしかった」
と何度も何度も言っておられた、民介さんは70を過ぎてもとてもお元気で、毎日トラクターに乗って農作業をされておられた…ある日の朝、民介さんは興奮して奥さんを呼びました。
「洋が会いに来た。女の人を連れて戻って来た」「わしが『その人と結婚すればいいのに』と言ったら目が覚めた」
それから三日後に民介さんは突然にお亡くなりになったそうです。
「野見山さん(野々山だけど…)、よく来てくださいました。9月20日の中野の公演にはきっとうかがいます」
方子さんに見送られて私は武蔵野線に乗りました。浦和を過ぎたあたりから窓の外は急に大雨になりました。ゲリラ豪雨。雷も鳴ってます。
「明日から稽古か…」
「あっ!」
車窓の稲妻を見ながら突然に思い出しました。
伊澤さんの実家へ行く道、どこかで見たあの風景は「無言館」に展示されていた召集令状を受け取った翌日に書いた《風景》そのままでした。

「あれは故郷の絵だったんですね、ヒロちゃん」

記 柳生啓介
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