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五月国立大劇場公演だより

           寛斎記す



 松本良順は、佐倉・順天堂を
開いた佐藤泰然の次男。
佐藤泰然は、元々高野長英の弟子。
 佐倉順天堂で学び、松本良順と共に長崎で学んだ
関寛斎は、阿波徳島藩に仕えた。
『お登勢』に描かれた頃の話である。

           淡路洲本のお登勢の碑

 順天堂と並び称される
適塾出身の長州・大村益次郎に乞われた寛斎は
彰義隊・上野戦争の野戦病院を担当した。

 野戦病院で寛斎がつけた治療記録に、益満休之助の名がある。


「去年の暮、市中に火付け強盗を働いて動乱を企てた張本人でございましょう」
「そうだ、西郷吉之助の懐小刀と言われた男だ」
  (『江戸城総攻』
         第一部『江戸城総攻』)
  



 マスミツは、歴史の教科書には出てこない。
薩摩が幕府攻撃の口実を作るための挑発活動後、江戸で逮捕。
処刑されるところを勝海舟に引き取られ、
無血開城交渉の為のホット・ラインの役割を果たした。

「こいつ、帰って来た。
精鋭隊の山岡鉄太郎をつれて、
慶喜の命乞いに来たと言っとる」
(『江戸城総攻』第二部
      『慶喜命乞』)


 無血開城後の、
上野戦争で薩摩は、激戦区
黒門口を攻めた。

 寛斎が記したマスミツのカルテは

     右膝下部貫通銃創 脛骨挫傷

五日後横浜の軍陣病院に送られたが

     テタヌスにて二十六日死ス


 テタヌスつまり破傷風。
        コッホ北里神社は、白金の北里研究所大学構内にある


オランダ医学からドイツ医学に転じた明治日本で、
北里柴三郎博士が原因菌を発見する
20年前。
原因も治療法も未だ解明されていなかった。


           喜八郎☆記
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