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五月国立大劇場だより

       泪橋の向こう      

              四宿の“へ~?!”


 「天正18年8月朔日、徳川家康江戸城に入り、
慶応四年4月11日、徳川慶喜江戸の地を退く。
歴史の記述は短かろうが……」
(江戸城総攻 第三部
   将軍江戸を去る)

                台東区と葛飾区の境にある泪橋跡

 11日の早朝、寛永寺を出た15代将軍の駕籠は
日光街道を進む。
 千住宿の地名は小塚原町。通称コツ。
南千住と地名改まった今でも、
“コツ通り商店街”などとその名を残している。

 奥州街道の思川には泪橋が架かる。
小塚原(こづかっぱら)の刑場で斬首される
罪人と家族とが泪で別れを惜しんだ橋。

      千住回向院

 橋を渡れば刑死者を弔う回向院が見えてくる。
安政の大獄で処刑された、
橋本左内
橋本左内(越前=福井・元適塾塾生)、
吉田松陰
吉田松陰(長州)、頼三樹三郎らがここに眠る。
 幕府再建の為に
ケイキさんを次期将軍にと担いだメンバーを、
対抗馬を担いだ井伊直弼が処分した。

 西郷もケイキさん就任を望んでこの弾圧にあっている。


 水戸藩出身のケイキさんは江戸藩邸で生まれ、
国許で育った。
 父親でもある水戸藩主・斉昭を謹慎、失意の死に
追い込んだのは安政の大獄。
井伊暗殺の桜田門外の変は、水戸藩士が主力だった。
その実行犯たちの墓所もここ。

               現在も遺る桜田門。向こうに見えるのは皇居外苑の櫻だモン

 品川宿そばには、鈴が森の刑場、
板橋宿にも刑場
(甲州街道のみは内藤新宿でなく八王子)、
と江戸の果てには刑死者が眠っていた。
歌舞伎でもおなじみの鈴が森

 因みに、家康が八朔(はっさく)に入城したというのは、
稲の初穂を収穫する日に当て込んだ伝説といわれる。
八月一日は、江戸時代を通じて大事な祝日だった。



           喜八郎☆記
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