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『龍の子』日記
『龍の子太郎』千穐楽!
全力疾走、全力投球のひと月が終了しました。
初日の日、公演班長・柳生啓介さんの「芝居の底力を魅せましょう」と言う言葉でスタートした東北被災地への巡演コースは、その言葉通りの成果を上げ、全員無事に帰京しました。
思い起こせば、この作品は、九州の子ども劇場おやこ劇場の皆さんからの熱いリクエストにお応えして誕生した作品でした。
その後、『龍の子太郎』の故郷とも言える信州で育まれ、私の生まれ故郷“東北福島”で千穐楽を迎えることができました。
この作品のすべてのステージに参加できて、こんなに幸せなことはありません。
このチャンスをくださったすべての方に感謝申し上げます。
今回のコースは、大きな困難を抱えてのスタートでした。
3月11日の大震災、その後、今なお続く大きな余震。
公演地を襲う放射能被害とその風評被害。
出演者の急病、怪我による配役変更。

不安だらけの気持ちを一掃してくれたのは、子ども達の歓声と笑顔でした。
初日、福島県須賀川市は、震災の日、ダムが決壊し、鉄砲水により7名の方が亡くなり、今なお1名の方が行方不明のまま手つかずの忘れられた被災地のひとつです。
会館に隣接するアリーナには、たくさんの被災者の方が暮らしていました。
セリフの中には、震災を思い起こさせるような言葉もあります。
出発前には、いろいろな懸念もありました。
でもそれは、吹き飛びました。
客席にいらしたすべての方が、被災や被害ではなく、太郎の姿に、復興へのエネルギーを重ねてくれました。
本当に嬉しかったです。
三春町は、その名の通り、梅、桃、桜が一斉に咲き誇る美しい町です。
でも風評被害で、花を見に来る人はいません。
そんな中でも、子ども達は、本当に元気でした。
商店街のおじさんも「へぇ~前進座が来たんだ~」なんて喜んでくれました。
岩手県矢巾での公演は、花巻の保育園関係者の皆さんを中心に、震災後に急遽公演を決めて下さいました。
全国から寄せられた支援金で、実現した公演です。
宮城県登米市の公演は、県内で被災した方、そして私の故郷、福島県いわき市から放射能被害にあっている子ども達が、長い時間をかけて観に来てくれました。
津波で、石巻の実家を流された“いのししおかぁ”こと、高橋亜紀ちゃんの家族も……。
福島県矢吹町は、建物への被害が大きかった町です。
崩壊している建物も目の当たりにしました。
でも文化センターは、公演可能。
ご覧になった職員さん、先生方は、声を揃えて「今までで一番良かった。子ども達の観劇中の態度が、いつもと違う!身を乗り出して観てたよ。」と喜んでくれました。
会津では、この公演を実現するために、官民一体となって、急ピッチで會津風雅堂の復旧工事をして下さいました。
前日に工事が終わった会館で、被災後初めての公演をさせていただきました。
南会津は、南相馬市から、たくさんの子ども達が編入して来ています。
例年よりも大人数で観劇した子ども達。
過疎化の町に、にわかに増えたクラスメートとともに体験する行事には、それぞれどんな思いを抱いたのでしょうか?
夜いただいた美味しい地酒が、風評被害で売れないなんて、本当に胸が苦しくなります。
山形県村山市は、今回のコースでは、唯一被災地とは言えないかもしれませんが、でもやっぱり、東北は風評被害で大変です。
私が大好きなサクランボが、今まさに旬なのに、観光客は、とっても少ないです。
会うのは、復興作業の業者さんやボランティアばっかり。
でも、子ども達は、そんなことはお構いなし。
太郎の味方という点では、このコースNo.1かな。
赤おにと諍いをおこしても、
天狗さまと相撲をとっても、
黒おにと闘っても、
太郎にエール。
音楽が舞台に聞こえないくらいの歓声なのに、
セリフにになると静かになる!
びっくりしました。
楽しかった~。
千穐楽の福島県棚倉町では、前日の晩泊まった宿で、避難している小学6年生の少女に出会い、「明日お芝居観る?」って聞いたら、満面の笑顔で「はいっ!」って答えてくれて、「明日のためにわざわざ東京からきたんですか?」って聞かれ、「明日は頑張るね」って約束しました。
私の闘いは、とりあえず千穐楽です。
でも、この少女や、東北の子ども達の闘いは果てしなく続きます。
太郎の唄に「おらには何ができるだろう?何をすればいいのだろう?」という言葉があります。
今、私に出来ることは、精一杯良い芝居を創ること!
『龍の子太郎』を一緒に作り上げた、仲間のみんな~!
本当にありがとう!!
そして「また、一緒に頑張っぺ~!!」

“龍の子太郎”役 横澤寛美:記
全力疾走、全力投球のひと月が終了しました。
初日の日、公演班長・柳生啓介さんの「芝居の底力を魅せましょう」と言う言葉でスタートした東北被災地への巡演コースは、その言葉通りの成果を上げ、全員無事に帰京しました。
思い起こせば、この作品は、九州の子ども劇場おやこ劇場の皆さんからの熱いリクエストにお応えして誕生した作品でした。
その後、『龍の子太郎』の故郷とも言える信州で育まれ、私の生まれ故郷“東北福島”で千穐楽を迎えることができました。
この作品のすべてのステージに参加できて、こんなに幸せなことはありません。
このチャンスをくださったすべての方に感謝申し上げます。
今回のコースは、大きな困難を抱えてのスタートでした。
3月11日の大震災、その後、今なお続く大きな余震。
公演地を襲う放射能被害とその風評被害。
出演者の急病、怪我による配役変更。

不安だらけの気持ちを一掃してくれたのは、子ども達の歓声と笑顔でした。
初日、福島県須賀川市は、震災の日、ダムが決壊し、鉄砲水により7名の方が亡くなり、今なお1名の方が行方不明のまま手つかずの忘れられた被災地のひとつです。
会館に隣接するアリーナには、たくさんの被災者の方が暮らしていました。
セリフの中には、震災を思い起こさせるような言葉もあります。
出発前には、いろいろな懸念もありました。
でもそれは、吹き飛びました。
客席にいらしたすべての方が、被災や被害ではなく、太郎の姿に、復興へのエネルギーを重ねてくれました。
本当に嬉しかったです。
三春町は、その名の通り、梅、桃、桜が一斉に咲き誇る美しい町です。
でも風評被害で、花を見に来る人はいません。
そんな中でも、子ども達は、本当に元気でした。
商店街のおじさんも「へぇ~前進座が来たんだ~」なんて喜んでくれました。
岩手県矢巾での公演は、花巻の保育園関係者の皆さんを中心に、震災後に急遽公演を決めて下さいました。
全国から寄せられた支援金で、実現した公演です。
宮城県登米市の公演は、県内で被災した方、そして私の故郷、福島県いわき市から放射能被害にあっている子ども達が、長い時間をかけて観に来てくれました。
津波で、石巻の実家を流された“いのししおかぁ”こと、高橋亜紀ちゃんの家族も……。
福島県矢吹町は、建物への被害が大きかった町です。
崩壊している建物も目の当たりにしました。
でも文化センターは、公演可能。
ご覧になった職員さん、先生方は、声を揃えて「今までで一番良かった。子ども達の観劇中の態度が、いつもと違う!身を乗り出して観てたよ。」と喜んでくれました。
会津では、この公演を実現するために、官民一体となって、急ピッチで會津風雅堂の復旧工事をして下さいました。
前日に工事が終わった会館で、被災後初めての公演をさせていただきました。
南会津は、南相馬市から、たくさんの子ども達が編入して来ています。
例年よりも大人数で観劇した子ども達。
過疎化の町に、にわかに増えたクラスメートとともに体験する行事には、それぞれどんな思いを抱いたのでしょうか?
夜いただいた美味しい地酒が、風評被害で売れないなんて、本当に胸が苦しくなります。
山形県村山市は、今回のコースでは、唯一被災地とは言えないかもしれませんが、でもやっぱり、東北は風評被害で大変です。
私が大好きなサクランボが、今まさに旬なのに、観光客は、とっても少ないです。
会うのは、復興作業の業者さんやボランティアばっかり。
でも、子ども達は、そんなことはお構いなし。
太郎の味方という点では、このコースNo.1かな。
赤おにと諍いをおこしても、
天狗さまと相撲をとっても、
黒おにと闘っても、
太郎にエール。
音楽が舞台に聞こえないくらいの歓声なのに、
セリフにになると静かになる!
びっくりしました。
楽しかった~。
千穐楽の福島県棚倉町では、前日の晩泊まった宿で、避難している小学6年生の少女に出会い、「明日お芝居観る?」って聞いたら、満面の笑顔で「はいっ!」って答えてくれて、「明日のためにわざわざ東京からきたんですか?」って聞かれ、「明日は頑張るね」って約束しました。
私の闘いは、とりあえず千穐楽です。
でも、この少女や、東北の子ども達の闘いは果てしなく続きます。
太郎の唄に「おらには何ができるだろう?何をすればいいのだろう?」という言葉があります。
今、私に出来ることは、精一杯良い芝居を創ること!
『龍の子太郎』を一緒に作り上げた、仲間のみんな~!
本当にありがとう!!
そして「また、一緒に頑張っぺ~!!」


“龍の子太郎”役 横澤寛美:記
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- カテゴリ : 龍の子太郎
- 2011-06-30
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